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記事: Blog2 Post

初任給はいくらだったか 新社会人に必要なマネーセンスと私の黒歴史


 

そういえば、35年前の私は、この時期に初任給をいただいておりましたね。


記録によりますと、昭和62年4月の標準報酬月額は136,000円だったようです。

記憶によるところでは、手取りは80,000円弱でしたね。

口座への給与振り込み制度などもなく、現金支給の時代でした。なんかいろいろ引かれていたようですが、当時はあまり気にしてはいませんでした。というか、十分考えてなかったわけですね。


マネーセンス1 自分に必要のない金融商品に手を出さない

給料、調整額、諸手当、総支給額、税金、社会保険、その他の控除がどれくらいなのか、特にその他の控除の明細をよく知っておくおくことが大切です。年ごとの給料表と見比べると、将来的に手取り額がどのようになるのか推測することができます。まずは、無駄のない家計を設計し、フリーキャッシュ100万円を目指していくと景色が変わってくると思います。



給与日には近くの地銀から営業の方がスタッフルームで待ち構えていました。今ではあまり流行らない財形貯蓄も始めました。月5000円ですが、昨年まで続けていたので、積み立て元金は200万ほどになりました。定期預金ベースなので、残高はあまり増えてはいませんね。


当時はバブル景気真っ盛りの頃でした。公務員と比べて高給な企業へ就職する同級生も多くいました。

また、その中には証券会社に就職する方もいました。最初の賞与時期には営業の電凸をいただき、20万円ほどの転換社債を購入した記憶があります。しかし、その後バブルははじけます。



山一證券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


野村證券、大和證券、日興證券とともに日本の四大証券会社の一翼を担っていたが、バブル崩壊によって経営が悪化した上、それによって発生した損失を隠蔽する不正会計(損失隠し)を行っていたことが発覚。1997年(平成9年)11月24日に自主廃業を発表して業務を停止し、2005年に解散した。

担当者が寿退社をするということを聞き、転換社債は20%くらいの利を含み解約をしました。定額貯金の金利が5%くらいあった当時ですから、そちらの方がよかったことが分かったのは、ずいぶん後になってからでした。


他の証券会社でスーパーゴールドや中国ファンドなども購入していました。しかし、窓口でしか出金対応ができない不便さから、こちらも解約することになりました。



マネーセンス2 自分に必要のない保険勧誘に手を出さない

新規採用者に対しては様々なハードルが課せられており、その一つが保険営業担当者への対応でした。初心な私は、上手に断るというスキルが無く、今は亡き協栄生命の教弘保険に加入することになりました。



協栄生命保険

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バブル期に高利回りの長期運用商品を販売した結果逆ザヤが累積し、2000年(平成12年)10月20日に経営破綻。負債総額は4兆5297億円となり、戦後最大の倒産となった。破綻後は、プルデンシャル・ファイナンシャルグループがスポンサーとして更生計画を策定し、現在はジブラルタ生命保険が契約を引き継ぎとして業務を行っている。

7年ほど加入をしていましたが、バブル崩壊後の雲行きを怪しく感じ、潔く解約しました。掛金の6割くらいの払い戻し金しかありませんでした。協栄生命が倒産したのは、その3年後でした。

ムーディーズやS&P格付け、ソルベンシーマージン比率、損失補填などのワードが当時よくささやかれていた記憶があります。


お金の知識が必要だなと考え始めたのもそのころです。

 

現在は投資環境がよくなり、非課税制度の恩恵も受けられやすいと思います。米国株の先行き見通しが不安なところなのですが、反面、絶好の仕込み時期とも考えられます。


新社会人の方にとっては、よい蓄財機会となるでしょう。

ネット証券口座を開設し、投資スタートを始めてみてはいかがでしょうか。


ご覧いただき、ありがとうございました。



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